ciciありむらのおとぼけ日記

好奇心旺盛なオジンがスナックでの『お店ばなし』や日常の出来事を川柳を添えて書きます。

2年前…

 月曜日の昼過ぎに、アメリカのシアトルに住む三女の姉から「今朝、主人が亡くなった」との電話があった。
 旦那さんとは2年前の5月に夫婦で来日して、京都府宇治市の四女の姉宅に1週間ほど滞在した時に会ったのが最後だ。
 その時旦那さんは高齢(80歳)なのとパセドー病で無理を押しての来日だったので、「これが最後になるかもしれないから」と、兄弟姉妹やその家族など総勢28名が集まった。
 彼はとても優しい方で、日本語はあまり分からないが、私達に溶け込もうと一所懸命に笑顔で接したり、姉が心を弾ませて皆んなと会話する様子を穏やかな眼差しで見守っていた。
 その時に皆んなが集まる場所を提供してくれ、明るく元気に振る舞ってくれていた四女の姉も昨年の12月22日に71歳で死去。もう2年前の様に一堂に集まる機会が無くなった。
 訃報を聞いた私の妻は、その当時は闘病中だったが「2年前に無理して行っといて良かったわ」と、全員で撮った集合写真を見つめながら、目を潤ませてしみじみと語った。
 因みに義兄が無くなった5月18日は私の誕生日。彼の命日はずっと忘れる事はないだろう。
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  1. 2015/05/19(火) 07:00:05|
  2. 追悼
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義父の1周忌

 日曜日の昼過ぎは、義父の1周忌法要に出席する為に法事会場の義姉宅に行った。
 お坊さんは法事開催時間に少し遅れてやってきて、「来る途中で渋滞にあいました」と謝罪。
 そう言えば今日は「泉州国際市民マラソン」があり、マラソンコースの周辺道路は交通規制が敷かれていた。
 法事の後の会席は時間が中途半端なので、夕食を兼ねて夕方に近くの料理店に予約を取っていた。
 私と妻はその時間までの間に、近くのスーパーで店の仕入れや家の食材を買い食品を家に置いてから、料理店に行きみんなと合流した。
 本来ならば喪主の義姉が会席前の挨拶をしなくてはいけないが、苦手だと言うので私が代わって挨拶をした。
 私はこういうのはあまり慣れていないので、少し舌がもつれてみんなの笑いを誘った。
 妻が「よかったやん」と言ったが私は「何でやねん」と返答。「こういう堅苦しい席で笑いがあって、よかったやん」と返した。
 「まあ、ええか。何事も経験や」と心の内で自分に言い聞かせた。
 何もかも含めて義父に喜んでもらえればそれで良し!

 一句:哀悼の 涙も薄れる 1周忌
 謎かけ:1周忌とかけて、時価の値札が多い寿司屋に入ると解く。どちらも(読経・度胸)がいります
  1. 2014/02/17(月) 06:22:14|
  2. 追悼
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半眼半口(ハンガンハンク)

 今日来たお客Sさんのお母さんは、今年の6月に102歳で亡くなられた。
 病気も無く73歳まで働き年金も多かったので、設備が整った有料老人ホームに入所した。
 頭はしっかりして内臓は丈夫だが、腰を痛めてからみんなに迷惑をかけてはいけないと老人ホームに入所。子供には精神的負担と金銭的負担をかけることは無く、本当に子供孝行な母親だったとか。
 亡くなる前日に見舞いに行くとSさんの顔を見て「お前、しんどかったら直ぐに病院に行きや」と言ったそうだ。その時Sさんは喘息気味だった。お母さんが彼の顔を見て息子の体調を見抜くとは、さすが母親だなあと感心した。
 最期の日にSさんが見舞いに行った時、少しトイレに行って戻ってきたら息を引きとったとか。お母さんは半眼半口の成仏の相で大往生。「毎日、仏壇に手を合わせて拝んでた証明やった」とSさんは懐かしみながらしみじみと語った。
 ※半眼半口とは眠っているかの様に眼と口がやや開いた状態で、表情は成仏した穏やかな顔と言われてる。

 一句:安らかな 半眼半口 仏の顔
 謎かけ:半眼半口とかけて、支社長と解く。どちらも(死者・支社)の顔です
  1. 2013/08/31(土) 05:00:59|
  2. 追悼
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叔父の葬儀

 昨日の午前3時過ぎに妻の叔父さんが亡くなったので、今日の午前11時に葬儀に出席した。叔父さんは大のビール好きで、冷たいビールを飲みたいが為に猛暑が続く真夏の散歩の後でも水を飲まなかった。それが原因で脳梗塞になり入院、そして不帰の人となった。
 今日の午前4時前に店が終わりブログを編集&アップしてから普段より早めに床に就いたが、葬儀の事が気になりなかなか眠れず2時間弱の睡眠で起きた。
 斎場で見た喪主の叔母さんは、叔父さんが亡くなる数日前に自転車事故に遭い左腕を骨折したそうで、喪服姿に三角巾で腕吊をりしていてより一層痛々しかった。
 僧侶の読経中、最前列席の叔母さんの背中が何度も悲しみに震えていた。私の横では妻と義姉がすすり泣いていた。私の娘・瞳と義父と同じ斎場だったので交互に私の中で蘇えり目頭を熱くした。
 式を終えて出棺の前の最後のお別れの時、遺族が別れ花を棺の中に入れた後に樒(シキミ)の葉にビールをつけて叔父さんの唇を濡らしていた。そしてセロファンでラッピングしたプラカップに入ったビールを10個ほど足元に納めて「好きなビールを飲んでや~」、同様のカップに入った水も10個ほど納めて「天国でも水をしっかり飲みや」と叔母さんが言った。
 火葬炉に棺が入る時に叔母さんは「あんたー!」と叫びながら泣き崩れた。そして息子夫婦に身体を支えてもらい寄りかかりながらむせび泣き、参列者のあちこちから「にいちゃーん!」と叫び声が聞こえた。
 4か月前、義父の納骨の後の食事会の時に「みんな仲良うしていこな~」と言っていた、あの元気だった叔父さんが逝ってしまうとは夢にも思っていなかった。
 私の妻はこの半年の間に2人の大切な人を亡くして、憔悴(ショウスイ)しきっていた。私は悲しみと寝不足で目が真っ赤だった。
  1. 2013/08/30(金) 04:35:29|
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義父の初盆

 今日は義父の初盆に出席した。
 義父は長男だが子供は娘が二人。跡継ぎがいないので義父母の入っていた先祖の墓は、孫の代まで男子がいて末永く墓守が出来る弟に譲り、義父母の遺骨は永代供養をしてくれる西本願寺堺別院に納骨した。
 この西本願寺堺別院は鎌倉時代に建立され「北の御坊さん」として親しまれていて堺では最大の木造建築である。明治4年から10年間は堺県の県庁として使用、境内には与謝野晶子の歌碑があり、高さ20m、幹の周り3.65mもある銀杏の巨木が、寺の歴史を語るかのように根を下ろしている。
 今日はその寺で盂蘭盆会が営まれて、4名の僧侶による読経が始まると大きな本堂は静まり返り、時々吹く爽やかな風が夏の暑さや都会の喧騒を忘れさせてくれる。
 義父は義母と共に由緒ある当院に納めたのできっと満足され、また私たち子孫を温かく見守ってくれていると思う。
 読経中、目を瞑れば元気だった頃の義父の在りし日々を思い出したり、瞳が小学生の頃に家族でこの寺に何度かお参りしたことを思い出した。
 そして今頃、瞳は天国で再会した義父に可愛がってもらっていることだろう。
  1. 2013/08/15(木) 16:39:35|
  2. 追悼
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